
久しぶりに本の話。「クラウディアの祈り」という本を読み、号泣しました。
終戦から8か月後の平壌、民間人の蜂谷彌三郎さんは、妻・久子さんと生後数か月の娘の目の前で、進駐してきたソ連軍に連行されました。そして、スパイの嫌疑かけられ、シベリアへ抑留されました。シベリアでの生活は筆舌に尽くしたいほど厳しく、収容所で病に倒れつつ、北極圏付近にまで送られ、理髪師になり、1953年(昭和28年)に刑が明けました。しかしながら、日本への帰国ができず、ソ連国籍を取得しました彼は、同じように無実の罪を着せられ、強制収容所での十年の刑を終えたクラウディアと出逢い、二人はお互いの境遇に同情し合い結ばれました。「日本人のスパイ」「スパイの妻」と悪口を言われながらも、70歳過ぎても仲良く暮らしていました。
1991年のソ連崩壊という歴史が彼らに新しい人生を歩ませました。1996年4月に、ウラジオストク近郊で日本語を教えていた、日本ユーラシア協会の金子氏に、日本の家族宛に手紙を委ねたところ、彌三郎さんの弟と娘夫婦が彌三郎さんの元に訪ねて来ました、妻・久子の手紙を携えて。その文面には
「一番申し上げたきことは 是非 是非 帰国できます日を祈っております。(略)くりかえしますが、きっと顔を見せて下さい。おねがい致します。」
50年間再婚もせず、夫の帰りを健気に待っていた久子の願いでした。
クラウディアは体調を崩し、二度も入退院を繰り返しましたが、彌三郎の帰国同意書を一人でこっそり書き上げ、日本語に訳してもらい、ハバロフスクの日本領事館に一人で持参しました。
「他人の悲しみの上に自分の幸福を築き上げることは、人道上、決して許されるべきではない」、
また、
「ほんとうに人を愛するということは、その人が希望することを応援し、力になり、希望をかなえてあげられるように努力することだ」
というクラウディアの思いは揺るがず、後ろ髪が引かれ、断腸の思いに気も引き裂かれる中で、彌三郎さんは帰国の途に就きます。
このあたりから涙では読めませんでした。この文章を書いていても思い出しては涙腺が緩んできます。帰国後は文通でしか連絡できなかった彼らはロシアで、そして日本で再会をします。ロシアでの苦しい生活の同志として、感謝し合い、尊敬しあう仲、そして無実の罪を背負った二人だったからこそ、どんな状況でも真実の愛を貫くことができたと信じます。